Yの教室

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豊田真生氏の世界観

第6回ナレッジイノベーションアワードにて,豊田真生氏の世界観がとても分かりやすかった,というお話。

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「合理VS非合理」の対比ととらえると,かなりよく説明がつく。しかもその両者は矛盾しないし,両立可能だという。以下,感想を織り交ぜながら氏の話をまとめてみる。

 

「ことば」の語源

「こと(事実)」の「は(端)」であり,事実のほんの一部しか伝えることができない。だけど,それが他者に伝わることでその人から新しい「こと」が生まれる。そんな可能性を持っている。

 

「数学」の語源

「数学」自体は明治時代に作られた言葉なので,”Mathematics”の語源をたどる。それはギリシャ時代の言葉で,数学という学問は,もともと存在している・見えていることに関する学問である。もともと存在していないものを闇雲に追い求めるものではない。

なお,数学用語はヨーロッパの日常語である。例えば,写像はmap,複素数はcomplex,存在はbeingといったように。したがって真に数学を理解するためには欧米的なものの考え方に従う必要があるように思う。

 

integrityとintimate

integrity,それは英語圏での最上級の誉め言葉。状況に流されない,不可侵なといった意味。原理原則に基づく,という近代的な価値観である。現代のプレゼンも,あらかじめ準備した内容通りに話すという意味ではintegrity的である。書く表現でいうとエッセーである。

 

それに対してintimateは日本的といえる。intimateなコミュニケーションとは,親友の悲しみは言葉が無くても伝わるといったものである。いわゆるほのめかす,ということ。書く表現でいうと随筆である。このスタイルのコミュニケーションに必要なことは,松尾芭蕉なら松を表現するには松になってみると言っているし,弟子入りするというのもintimate的である。状況に応じたり,世界の一部として自分があるととらえる日本の世界観といえる。

 

数学史とコンピュータサイエンスの関係

学校の数学の授業の意義は何か。世界中で「数学アレルギー」は存在する。ただ,意味(具体的な状況)を考えずにルールに従った方が便利になることがある。

「自由に散歩して」と言われた人はどう散歩するか?自身の経験に基づくような散歩の仕方をするだろう。

また,AIに関していうと,デカルト幾何学の円をx^2+y^2=1という数式で表した。従来は幾何を知るためにはよく観察することと言われていたのに,観察をせずに幾何を表すことを可能にした。この考え方はコンピュータサイエンスに通じている。逆に,コンピュータが人のような行いをするAIは,この真逆の行いといえる。

 

AIの本質を知るためにはコンピュータサイエンスの歴史を知ることが手掛かりになるかもしれない。

教育の目標は「人格の完成」である。人格の未完成な子どもが様々な学問におけるルールやものの考え方に従うことが,思考の幅を広げることになるような気がする。

 

数学は,使われる言葉の意味が確定している数少ない分野である。例えば「素数」。

またかつてピタゴラス教団は「比ratioで世界を理解できる」といった。元となる「単位」を基準としてでっちあげることである。そのことにより,あらゆるものが測定可能になった。それ以後,長い間「数学とは量の学問」と言われることになった。

 

 

中学校で教える9教科の学問をintegrityとintimateに分けることはできないだろうかと考えた。

①状況に左右されない自分をもつことを学ぶ学問(一義的なものの考え方)

②状況に合わせてうまくやるための学問(多義的なものの考え方)

両者を共に学ばせたいと思った。